2019-12-03 第200回国会 参議院 国土交通委員会 第5号
ちょうど今から六十年前、昭和の三大台風と言われました室戸台風、枕崎台風と並んで三大台風の一つと言われている伊勢湾台風、これがちょうど今から六十年前、昭和三十四年に、この濃尾平野地域を含め、日本列島、中部地域を襲ったわけでございます。当時、死者、行方不明者合わせて犠牲者が五千人をも上回る大災害を経験をし、当時被災をされた皆様は今でもその経験を生々しく語られております。
ちょうど今から六十年前、昭和の三大台風と言われました室戸台風、枕崎台風と並んで三大台風の一つと言われている伊勢湾台風、これがちょうど今から六十年前、昭和三十四年に、この濃尾平野地域を含め、日本列島、中部地域を襲ったわけでございます。当時、死者、行方不明者合わせて犠牲者が五千人をも上回る大災害を経験をし、当時被災をされた皆様は今でもその経験を生々しく語られております。
この点、資料も一枚つけさせていただいておりますが、鹿児島の取り組みなんですけれども、かつおぶしで非常に有名な枕崎市というようなことがございまして、ここがフランスにかつおぶしの工場をつくってしまいました。かつおぶしをどんどんどんどん、ヨーロッパの方にだしの文化を宣伝するという意味で、そういった取り組みをやっておりますけれども、私は、高く評価されるべき取り組みであろうかと思っております。
要は、枕崎でたくさんおいしいかつおぶしができておりますから、それを輸出すればいいじゃないかという話なんですけれども、EUの高い食品に関する衛生基準というのが壁になって、残念ながら持っていけないということが発端でございました。 この点、やはり日本の本当においしい農産物、高品質のものを輸出するに当たって、私は、この高い基準というのが壁になって、非常にちょっと、どうにか緩和できないかなと。
農業だけではなく漁業も盛んでありまして、先ほど申し上げたとおり、枕崎の水産加工、あるいは、マグロ漁船船籍数日本一の市も我が選挙区内に抱えているといったようなところでございまして、余り知られていないかもしれませんが、漁業も非常に盛んなんです。皆さん、ぜひよろしくお願いします。(発言する者あり)ぜひ法務委員会で参りましょう。
選挙区内に枕崎という地域を抱えております。御案内の方もいらっしゃると思いますが、日本一のかつおぶしの生産量を誇る町であります。そして、そのかつおぶし製造工場、つまり水産加工工場においては、多くの外国人技能実習生の方にお力を発揮していただいております。
二〇一四年七月のインタビューで、廃止対象路線を検討する、指宿枕崎線も存廃対象と答えています。本来赤字ローカル線を維持するための国民のお金である経営安定基金を民間企業に振り替えるという、極めて異例な対応を取っていることを十分認識すべきであります。会社として、九州の赤字ローカル線の維持に向けてきちんと社会的責任を果たすべきであります。
先ほど述べました指宿枕崎線、私、JR九州のほとんどの路線は乗ってきました。この指宿枕崎線も昨年利用したことがあるんですけれども、鹿児島中央駅から普通列車に乗りました。そうしたら、もうびっくりするぐらいの揺れがありまして、縦揺れですね、がくんがくんと。
JR九州は、鉄道収支改善に向けた赤字ローカル線の存廃問題で、指宿枕崎線も検討対象となることを明らかにした。これは去年の七月です。青柳社長はインタビューに答え、今すぐどうこうという話ではないが、区間によっては検討対象にはなる、いずれ相談し、検討をお願いする時期が来ると思うと言われているわけです。これは具体的に言及されているんです。 本委員会での社長の御答弁は、それとして承ります。
○青柳参考人 今の質問に対しましては、指宿枕崎線というのは枕崎までを指すということで、維持するということで今考えております。
二〇一二年の五月に、私は地元の鹿児島の県議とともに離島対策本部としまして現地を訪問した際にも、枕崎港までの航路の延伸の要請を受けております。三月十二日にも三島村の大山村長と大臣に申入れを行いましたけれども、是非とも島民の悲願が実現できますような点をお願いしたいと思いまして、質問させていただきます。
枕崎航路が実現をし、一日一便体制になれば、さらに地域おこし、仕事興しにつながっていく、このことをぜひとも、村の、島民の皆さんの切実な要望として受けとめて、対応を改めて求めておきます。 そこで、総理にお尋ねしますが、離島を抱える自治体の皆さんでつくる全国離島振興協議会、全離島は、離島航空路への支援とともに、離島航路支援の抜本拡充を要求してまいりました。
現在、鹿児島県と三島村では、黒島から枕崎の間について、医療の受診機会の確保等の観点から、この航路を延伸することを検討しているというのは御指摘のとおりでございます。鹿児島県と、運航主体でもある三島村は、共同で実証運航を行い、需要の確認を行いながら、費用負担等に関する協議を進めていると承知をしております。
ですから、三島村の要望というのは、鹿児島からこの三つの島を回って黒島に入港した後、鹿児島に折り返すのではなくて、黒島から枕崎に行くルートを、直接本土につなぐルートとして、枕崎に入港する航路を実現することであります。 そこで、太田国交大臣にお尋ねいたします。
指宿、枕崎、南九州市、南薩地域といいますが、これは、我が県では、露地、ハウス野菜、そしてお茶、カンショ等々、トップを走る畑作地帯です。ここで、国営と県営のかんがい排水事業がずっと進められておりまして、古いものでは四十年ぐらいになります。漏水も激しくなっておりまして、農業競争力強化基盤整備事業の中で、畑かんの施設のストックマネジメント事業が始まっております。
記事にもありました、フランスの工場候補地から枕崎へ。枕崎というのは、鹿児島の本当に南のところなんですけれども、かつおぶしが有名でございます。フランスにかつおぶし工場を建てる計画を進めている、そういうことで、水産加工会社の方、ブルターニュ地方の企業誘致担当者らが見学とあるんですね。在日フランス大使館から訪れた対仏投資担当官も同行されていた。
今回は岸壁が壊れていますので、なかなか水揚げがスムーズにはいかなかったんですけれども、例えば、海外まき網船というのは、冷凍してきたカツオをコンベヤーで直接、トラックに積んで、保冷車に積んで、そのまま焼津だとか枕崎とかへ運べばいいので、近場は焼津なんですけれども、そうすると、焼津にしてみれば、石巻で揚げて焼津に来るよりも、直接来てもらった方がいいわけで、そういう意味があって貸してくれなかったかどうかは
非常に手法としては単純なものですけれども、広島、長崎に原爆が落とされた約一か月後に枕崎台風というのがやってきまして、非常に激しい雨と激しい風が吹きました。それで、広島でいいますと、被爆地全域が床上五十センチあるいは一メートルの濁流に洗われてしまうことになりました。
具体的な手段は、非常に単純なんですけれども、枕崎台風という物すごく大きな台風で、広島なんかは床上一メートルの大洪水に見舞われた後で測定をやらせて、ほこりですから大部分洗われちゃったけれども、辛うじて土の中に残っているその量で、この量しか初めからなかった、そういう極めて複雑な計算をしていますけれども、そういう科学操作をいたしました。
伊勢湾台風というのは、御案内のように室戸台風、枕崎台風とあわせて三大台風と言われている。こんなでかいのは今まで来ていないんですよ。しかも、それを一〇〇%守らなければならない。
○小林美恵子君 測候所を廃止して地方気象台へという話が先ほどございましたけれども、鹿児島では同県内の阿久根と枕崎の二か所の測候所業務が既に集約をされました、地方気象台へ。二〇〇四年からは、種子島測候所が行っていた天気予報や防災情報の作成、発表の業務も地方気象台で実施することになりました。
例えば、私の地元の焼津のカツオブシと枕崎のカツオブシでは、加工場の排水基準に大きな差があるため、価格競争において大きな差が生じています。静岡は厳しく、鹿児島は相対的に緩やかとなっています。これを厳しい方に合わせることはできないでしょうか。
ちなみに、今まで肱川流域で記録に残っている洪水を調べてみますと、一九四五年の枕崎台風の毎秒五千トンが最高です。それ以外は、三千トン台が四回、二千トン台が十八回、一千トン台が六回、こういうふうになっています。つまり、五千トン対応の治水対策があれば、戦後の洪水はすべて防ぐことができたというのが数字上明らかになっています。
観賞樹の研究を十年ほど行った時点に、転勤を伴って鹿児島県枕崎市にある茶支場に、お茶と同様の観賞樹の研究に二年四カ月勤務いたしました。平成元年を枕崎市で迎えました。その後、本場に帰り、六年間は実際の研究からは離れて、管理職として平成六年三月まで勤務し、退職しました。勤務期間は、前後を通じて四十年間でした。現在、退職後七年半が過ぎました。
あるいは枕崎飛行場、これは鹿児島でございます。これは使用中でございますけれども、遊覧飛行だけでございます。また、天草の飛行場、これは熊本県でございますけれども、福岡—熊本を結ぶということで、使用中でございます。これは三十九人乗りでございます。また、調布飛行場がございますけれども、これは大島、新島、神津島ということで、十九人乗りで、三月の三十一日に供用開始をするという計画でございます。
○政府委員(竹村公太郎君) 御指摘のありました呉に関してでございますが、歴史的な経過ではっきりしていることは、昭和二十年九月に呉は枕崎台風を受けまして、連続雨量、時間雨量ともに今回の災害より小さかったわけですが、一千百人を超える死者を出した大災害がございます。そして、昭和四十二年七月災害、梅雨前線で呉で八十八人の死者が発生しております。
また、私の地元の枕崎というところで、この間、地元の漁業関係者から、今度政府の方でやろうとしております臨時緊急特別枠の補正予算を使って漁港の整備を推進したいということで要請があったりいたしましたけれども、どうも地元の方に聞いてみますと、地元で負担をする能力がないから、国の方では予算の手当てができたとしても、地元ではとてもそれにおつき合いということはできかねるので、なかなか対応が無理ですというふうなことを